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SixTONESとか嵐について

言葉によって"言葉にしないこと"をあらわす試み ― 大野智さんのお誕生日に

大野智さん、お誕生日おめでとうございます🎉

2021年11月26日です。2020年11月26日に思っていた”その先”の世界で、徐々に年末気分が高まってくる11月26日という日を迎えたことを、単純にすこし不思議な気持ちでいます。要約すると、もうそんなに経ったんですね、です。

もう1年以上前になりますが、去年の9月、六本木まで大野さんの個展を観に行ったことがまだ鮮明に思い出されます。その後作品集に目を通して、しばらく考え込んでしまったことも。

 

少し話が変わってしまいますが、実は去年の今頃、私はオタクとしてのSNSアカウントをひとつも持っていませんでした。ここ数年、SNSとは少し距離を置いていました。忙しかったりSNSの雰囲気を眺めていたりする中でフェードアウトした格好です。

そんな中でも大野さんの仕事は一応オタクといえる程度に追ってはいたので、SNSに書かないまでもライブの感想など時々メモを残してはいました。

大野さんの個展についても、もちろん書き残しています。しかもまあまあな分量。それこそブログ一本は書けるくらい。


彼の個展は巧妙な構成になっていたと思います。

メディア向けにはジャニーさんの絵を見せて集大成を演出しつつ、実際に見ていくとファンにはひしひしと伝わるメッセージが用意されている。(作品集のインタビューでは、さらに踏み込んだ言葉がありました)

 

つくづく物凄い人だなと思います。

誰がどう思うかはわかりませんが、いなくなって一年が経ちかけている今でも、私にとっては完璧なアイドルです。

そう思えば思うほどに、今、彼は表舞台にいないという事実を表裏一体のように突きつけられてしまうのですが。


大野さんは言葉というより絵やダンスといった目で見えるものに興味が強い人だと思っていて、言語化せずとも彼の表現の端々に彼の美学というものは反映されていると思います。

たとえば私は絵が下手なかわりに文章を書くことは嫌いではないので、ある程度彼の考えを想像して言葉にするということは可能だと思います。個展のメモにしても、自分で言うのもなんですが、それなりに分かりやすく彼がFREESTYLE 2020に込めた意味(と思われるもの)を書き下していると思います。たぶん。

 

ですが、それを共有するべきかどうか、はまた別の問題です。

 

彼の表現を、その背景からメッセージまで整理してまとめたとして、それを「ファンの子」以外を含む不特定多数に向かって叫ぶことは果たして正しいのでしょうか。「ファンの子」とだけ通じる彼からのメッセージを、通じた人たちの中でだけ大切にしまっておくのが彼の望みなのではないか、と思います。

そうすることによって、インターネットでは"無きもの"と見なされるのであっても。


今年、私は久しぶりに"オタ垢"を作りました。

"同担"の意見から遠ざかっていた数年間を取り戻すように、色々な方の言葉を読みました。

発信することから遠ざかっていた数年間を取り戻すように毎日ツイートし、このブログにも既にいくつか記事を書きました。

 

この界隈を眺めていると、特にファンの力を強く感じます。ファンの言葉がSixTONESの力となったことが、本当にたくさんあったのだろうと思います。

私もSixTONESへの気持ちを共有して楽しむことはもちろん、その言葉が"ツイート数"やチャートインへの貢献、関係者への反響となって届き、微力ながら彼らの助けになれば良いなと思っています。

 

その一方で、文字の奥に隠された真意を、画面に表れない人となりを、考えてしまいます。

気持ちはすべて共有するべきなのか、感想はすべて数字として測られるよう成形するべきなのか、と考えてしまいます。

 

画面に表れない気持ちが、"無きもの"と見なされないでいてほしい。

言葉にしない、という余地が許されていてほしい。

 

しまっておきたい思いを大切にできる世界でありますように。

 

大野智さん、お誕生日おめでとうございます。

良い一年をお過ごしください。