きっとそれが糧になる

SixTONESとか嵐について

SixTONES「CITY」 ― 曖昧な輪郭、まったく新しいアイドルど真ん中アルバム

SixTONES、2枚目のアルバム「CITY」発売おめでとうございます!

ということで、このアルバムの面白さを形態の違う3種類のCD(初回限定盤A、初回限定盤B、通常盤)から少し考えてみたいと思います。

 

ファンの皆さんは情報解禁時からもう耳タコなほど聞いたかと存じますが、改めて前置きしておくと、このアルバムでは初回A、初回B、通常盤と3形態ごとに収録曲順を変えるという試みがなされています。

今作のテーマである“街”における時間の流れを意識して配置された楽曲たちを、初回Aでは“朝”、初回Bでは“夕方”、通常盤では“夜”から一周するかたちです。(詳しくは以下公式サイトへ)

www.sixtones.jp

 

1日といっても、朝が始まりで夜が終わりであるという決まりはありません。このアルバムには、起承転結というお決まりの流れが存在しません。アルバムの始まりっぽい曲、2番手で盛り上げていく曲、締めっぽい曲、すべて1つに決められていないのです。

 

そして、曲順と同時に面白いポイントが形態ごとの収録曲の違いではないかと思います。

CDを複数形態リリースする場合、各形態の独自性を出すために収録楽曲を少しずつ変えるのはよくあることです。ここで、ある形態にのみ収録される楽曲って、例えばSixTONES1枚目のアルバム「1ST」でいうと

  • 原石盤(初回限定盤A)でJr.時代の楽曲が数曲まとめて収録されたように、共通収録曲とは異なるテーマで選ばれている
  • 通常盤における「うやむや」のように、共通収録曲とは少し雰囲気の違う曲

このように、共通収録曲とは離れて“特典”的な位置付けであることが多いと思います。つまり、アルバム本編(全形態に共通の収録曲)とボーナストラック(特定形態だけの収録曲)には区切りがあります。

 

しかし、今回「CITY」で初回A収録の「Papercut」「Takes Two」通常盤収録の「Casette Tape」「Dawn」をみると、何か本編とは別のテーマがあるようではないし、かつ共通収録曲に入れられないほど全く毛色が違う、という感じもしないんですよね。

初回Bだけは「1ST」と同様にユニット曲というテーマに則って集められていますが、こちらも歌っているのがメンバー内で2人ずつというだけで、音楽性に関しては「CITY」のコンセプトが地続きになっている3曲のように聴こえます。

つまり、「CITY」の3形態では“本編”と“特典”のような区切りが限りなく薄いように聴こえるのです。

 

これは、3形態を本編+3種類のボーナストラックにせず、曲順も収録曲も少しずつ違う、文字通り3種類の「CITY」をつくりだしたということだと思います。

そして、この細かな違いこそ「CITY」のテーマに深く通じているのではないでしょうか。

 

本作「CITY」のテーマは、その名の通り“街”です。

あなたが“街”と聞いたとき、思い出すのはどこでしょうか。

私は大阪に住んでいるので、大阪をイメージしてみます。大阪といえば…、たこ焼き、通天閣、グリコのサイン、そんな感じでしょうか。

一方で実際の大阪をみると、絶え間なくどこかで工事をしていて、ビルは建て替わり続けている。私のイメージする大阪の風景と、誰かのイメージする大阪の風景、厳密に比べればきっとどこかしらは違うと思います。

“街”は生きています。人は動き、建物は変わる。同じ“街”でも、人それぞれに馴染みの店、歩き慣れた道、そこにいる知り合いがいて、イメージは少しずつ違うと思います。それでも、私やあなたの中の、その“街”はずっとそこにあり続ける。ある“街”を歩けば、そのとき私は“街”の一部になる。

"街"とは、曖昧な輪郭をもつ空間であり、そして誰もを受容する空間といえる。

 

「CITY」もまた、同じアルバム名を冠しながら曲順も収録曲も少しずつ違う3つのバージョンが存在するという点に、輪郭の曖昧さを見出せるのではないでしょうか。どこからも始められる、中身だって少しずつ違うという境界線の薄さと流動性が斬新なプレイリスト的アルバムだと思います。

その曖昧さに私たちは受け入れられ、“街”を自分なりの道で歩くことができる。

これが生活に馴染む感覚、誰もが自分にとっての「CITY」というアルバムを見つけられる、という感覚に繋がっているのではないかと思います。

 

そして“街”を歩きはじめると、その中の楽曲たちはそれぞれの角度でそっと背中を押してくれるようです。

例えば、「Ordinaly Hero」は洗練されたサウンドの中に誰もがありのままにヒーローというメッセージの込められた普遍的な応援歌。「Your Best Day」「Good Times」なんかも明るく爽やかで、今作の新録曲は明るい曲調や前向きな歌が多い感じがします。

 

アルバム構成の曖昧さからくる受容、そして楽曲に込められた後押し、ファンを受け入れて愛を届けるというアイドルど真ん中の姿勢が“街”というテーマの中に表れるアルバムになったと思います。

 

そして、どの楽曲もSixTONESが歌っている限りそこが「CITY」。彼らが軸となり、誰もを受け入れる。

「1ST」が強さを外向きのエネルギーとして発信するアルバムだとしたら、「CITY」は受け入れるというしなやかな強さで人々を待つアルバム。 2枚目にして、誰もを受け入れる強さを持ったという表明にも思えます。

 

また、SixTONES自身も「CITY」を歩く側になり得るのだと思います。

レコーディングされた声と演奏によって「CITY」が形作られ、完成した“街”を歩く6人は、わたしたちと同じく"SixTONES"の外側にいるのかもしれません。

6人もまた、SixTONESでありながらSixTONESという軸に受け入れられるのだろうと思います。


と、こんな感じで、淡い輪郭の中に凛とした芯を感じる素敵なアルバムに仕上がっているのではないでしょうか。

ただ、今までになく実験的で、もしかしたら掴み所がないと思われる可能性もはらんでいるのかもしれませんが、私はその挑戦を止めずに突き進んでほしいという気持ちでいます。

受容と後押し、というアイドルど真ん中の姿勢を、今までの日本のアイドル的な音楽性とは一線を画したサウンドで貫くという、まさにSixTONESらしい“アイドル”の魅せ方に心惹かれるから。

 

それが既存のジャニーズの音楽性や多くの日本人に馴染み深い音楽性とは離れていたとしても、SixTONESという軸が“アイドル”と“ジャニーズ”を絶やさず立ち続けていることは

ジャニーズの伝統って、曲調ではなく信念だと思っている

 ― 松村北斗(anan 2022.1.12)

この一言に全て込められていると思います。

 

 

 

言葉によって"言葉にしないこと"をあらわす試み ― 大野智さんのお誕生日に

大野智さん、お誕生日おめでとうございます🎉

2021年11月26日です。2020年11月26日に思っていた”その先”の世界で、徐々に年末気分が高まってくる11月26日という日を迎えたことを、単純にすこし不思議な気持ちでいます。要約すると、もうそんなに経ったんですね、です。

もう1年以上前になりますが、去年の9月、六本木まで大野さんの個展を観に行ったことがまだ鮮明に思い出されます。その後作品集に目を通して、しばらく考え込んでしまったことも。

 

少し話が変わってしまいますが、実は去年の今頃、私はオタクとしてのSNSアカウントをひとつも持っていませんでした。ここ数年、SNSとは少し距離を置いていました。忙しかったりSNSの雰囲気を眺めていたりする中でフェードアウトした格好です。

そんな中でも大野さんの仕事は一応オタクといえる程度に追ってはいたので、SNSに書かないまでもライブの感想など時々メモを残してはいました。

大野さんの個展についても、もちろん書き残しています。しかもまあまあな分量。それこそブログ一本は書けるくらい。


彼の個展は巧妙な構成になっていたと思います。

メディア向けにはジャニーさんの絵を見せて集大成を演出しつつ、実際に見ていくとファンにはひしひしと伝わるメッセージが用意されている。(作品集のインタビューでは、さらに踏み込んだ言葉がありました)

 

つくづく物凄い人だなと思います。

誰がどう思うかはわかりませんが、いなくなって一年が経ちかけている今でも、私にとっては完璧なアイドルです。

そう思えば思うほどに、今、彼は表舞台にいないという事実を表裏一体のように突きつけられてしまうのですが。


大野さんは言葉というより絵やダンスといった目で見えるものに興味が強い人だと思っていて、言語化せずとも彼の表現の端々に彼の美学というものは反映されていると思います。

たとえば私は絵が下手なかわりに文章を書くことは嫌いではないので、ある程度彼の考えを想像して言葉にするということは可能だと思います。個展のメモにしても、自分で言うのもなんですが、それなりに分かりやすく彼がFREESTYLE 2020に込めた意味(と思われるもの)を書き下していると思います。たぶん。

 

ですが、それを共有するべきかどうか、はまた別の問題です。

 

彼の表現を、その背景からメッセージまで整理してまとめたとして、それを「ファンの子」以外を含む不特定多数に向かって叫ぶことは果たして正しいのでしょうか。「ファンの子」とだけ通じる彼からのメッセージを、通じた人たちの中でだけ大切にしまっておくのが彼の望みなのではないか、と思います。

そうすることによって、インターネットでは"無きもの"と見なされるのであっても。


今年、私は久しぶりに"オタ垢"を作りました。

"同担"の意見から遠ざかっていた数年間を取り戻すように、色々な方の言葉を読みました。

発信することから遠ざかっていた数年間を取り戻すように毎日ツイートし、このブログにも既にいくつか記事を書きました。

 

この界隈を眺めていると、特にファンの力を強く感じます。ファンの言葉がSixTONESの力となったことが、本当にたくさんあったのだろうと思います。

私もSixTONESへの気持ちを共有して楽しむことはもちろん、その言葉が"ツイート数"やチャートインへの貢献、関係者への反響となって届き、微力ながら彼らの助けになれば良いなと思っています。

 

その一方で、文字の奥に隠された真意を、画面に表れない人となりを、考えてしまいます。

気持ちはすべて共有するべきなのか、感想はすべて数字として測られるよう成形するべきなのか、と考えてしまいます。

 

画面に表れない気持ちが、"無きもの"と見なされないでいてほしい。

言葉にしない、という余地が許されていてほしい。

 

しまっておきたい思いを大切にできる世界でありますように。

 

大野智さん、お誕生日おめでとうございます。

良い一年をお過ごしください。

 

リアリストなアイドル田中樹に、SixTONESの野望を見る―「マスカラ」雑誌感想(anan/音楽と人)

SixTONES 5thシングル「マスカラ」リリースおめでとう〜!

ド新規の私としては今回はじめてリリース前からちゃんと追えたので、ワクワクを味わえて嬉しい限りです。

初めてのリリース期で驚いたことのひとつが、雑誌ラッシュです。スト担新規とはいえジャニオタ歴そのものは短くないので雑誌ラッシュの類には慣れていたつもりでしたが、シングル1枚でこんなにたくさんの雑誌、しかもひとつひとつがかなり濃いのには驚きました。ジャニオタとして邦ロック系の音楽誌を買う日が来るとは思わなかった。

 

そうしてたくさんの言葉を摂取したなかでも、特に樹くんの言葉には何回も唸り考えさせられました。

ということで、今回は「anan」「音楽と人」での樹くんの個人インタビューから、田中樹がSixTONESの音楽やパフォーマンスに対してどんな戦略を練っているのか、彼の展望を私なりに読み解いてみようと思います。

以下は当然のことながら上記2誌のネタバレになっておりますのでご注意ください。未読の方はぜひ買ってください…!(というかおそらく読んでいないと意味が分かりづらいと思います)  

"当たり前"の、その先へ

まずは「音楽と人」のインタビューから。

このインタビューは全体として非常に端的にまとめられているので、文面をなぞるだけだと少々難解にすら思えます。(私の読解力不足かも)

しかし、丁寧に行間を埋めていくと彼はSixTONESの未来についてものすごく戦略的な話をしていることに気付かされます。いちファンがその行間を言葉にしてしまうのはもしかしたら野暮な行為かもしれないですが、個人的にはもう少し文脈を補いたい気持ちが生まれたので私なりに噛み砕きつつ書いてみようと思います。

今、常田さんに楽曲提供してもらう意味とは

まず、今回のシングルに対する受け止め方について。

樹くんはここで、「マスカラ」に対してこれまでで最もドライな形容をしています。「当たり前」という言葉を多用していて、そんなに喜ばしいスタンスには聞こえません。

この答えが意味するところを、「マスカラ」の文脈からもう少し具体的に掘り下げていこうと思います。

 

※これから書く話のすべては、私は「マスカラ」が大好きで、King Gnuも大好きで、今回の楽曲提供に関しては本当に嬉しく思っているという前提でお願いします……。

今回楽曲提供していただいた常田さん率いるKing Gnuやmillenium parade、言わずもがな大人気のアーティストです。既に音楽界で新しいスタンダードを確立しつつある方々だと思います。

そんな常田さんがSixTONESと真剣に向き合って制作してくださったなんて、もちろんとんでもなく光栄で素晴らしいことです。 

有名アーティストによる楽曲提供は、それだけである程度話題になります。特に普段あまり楽曲提供をされない常田さんに作っていただくというのは話題性もありますし、実際、今の日本である程度音楽が好きな層、それこそKing Gnuやmillenium paradeのファンになるような層に向けては効果的なアプローチだと思います。

 

ただ、常田さんという日本で既に大衆人気を獲得しているアーティストに楽曲提供してもらうというのは、つまりその人の肩を借りて樹くんの言う「当たり前の音楽」をさせてもらっているに過ぎない側面もあると思います。

SixTONESやスタッフの方々は、常田さんによる楽曲提供の価値と、一方で「当たり前の音楽」であることを理解しているからこそ、デビュー年でも周年でもなくタイアップすらつけない、一見不思議なこのタイミングで常田大希という"必殺技"をかましてきたのではないかと考えています。

私はそのスタンスにすごく同意しています。敬意は最大限に払いつつ、しかし彼の楽曲提供を遠い目標としておくのは、それをSixTONESの"天井"に設定してしまうことでもあると思うからです。有名アーティストの楽曲提供は、SixTONESの音楽にとってあくまでひとつの手段であり目的ではない、ということは受け取る側も心に留めておいたほうがいいのかなと思います。

 

とはいえ、少々きつい言い方になってしまいますが、日本において今"かっこいい"とされている音楽をやるということですら、今までのアイドルにおいてはなかなかハードルの高いことだったと思います。(最近はそうでもなくなってきましたが)

そして、今"かっこいい"とされている「当たり前の音楽」を「当たり前に」やらないと、それ以上の段階にはたどり着けないのが事実だと思います。

だから、「渋谷の街なかで当たり前に流れる音楽を、当たり前にやる」ことには間違いなくそれ相応の価値がある。

そう考えると、デビュー2年目、血肉をつけていく時期に「当たり前の音楽を当たり前にやる」を提示しておくことは、SixTONESが「当たり前」をやる価値の最大化であり、その手段として常田さんに楽曲提供していただくタイミングは今がベストなのだと思います。

世界と日本の"当たり前"、そうでないもの

インタビュー内容に戻ると、次の問いかけから世界に届ける音楽へと話題が移ります。

音楽と人」に限らず今までの色々なインタビューを通しても、SixTONESの皆さんは英詞や流行りの洋楽を安易になぞるのが"世界"へのアプローチになるとは限らないことをよく理解していて、とても信頼が置けます。

一方で、これまでSixTONESの楽曲には洋楽っぽい曲調も数多く取り入れられています。「マスカラ」のカップリング曲でも、「Make Up」なんて完全に洋楽の流行りを踏襲したサウンドですね。

 

その取り組みと先ほどのスタンスは、相反するようですが実は両立しているのだと思います。マスカラが「(日本の)当たり前の音楽を当たり前にやる」であれば、Make Upは「(世界で)当たり前の音楽を当たり前にやる」というゾーンに該当するのではないでしょうか。そして、世界の「当たり前」をやることにも、日本の「当たり前」をやるのと同じ価値は当然に認められると思います。

さらに言えば、日本の流行と世界の流行は現状かなり違うので、日本では世界の「当たり前」が新鮮に聴こえることも多々あると思います。そうすると、日本で世界の「当たり前」をやることは、日本の「当たり前」をやることとはまた違った意義も見いだせるでしょう。

 

そして、その逆として「フィギュア」や「うやむや」があるのだと思います。

世界で日本の「当たり前」は新鮮に聴こえるでしょうから、それは樹くんの言及通り世界に向けた新しい音楽の発信になり得るし、それを"必殺技"と認識する見方は非常に正しいと思います。(とはいえ配信がない以上世界への届け方が限られているのが現状ではありますが)

 

こうして考えていくと、今回のシングルは音楽性だけでなくターゲットとしてもバラエティに富んでいると思います。多方面にチャレンジしていると言えるし、一貫していないとも言えますが、個人的には固めすぎる必要もないのではと思います。流れを考えすぎず、粒揃いの楽曲を並べられるのもシングルの強みだと思うのでそれを活かして色々聴いてみたいというのが一ファンとしての率直な願望ではあります。

もう少し時期が経てば何か一つの方向性に固めていくのかもしれないですが、それはまた後々の楽しみということで。

 

…余談ですが、実は私も音楽の好みでいうと完全にじゅり側です。(北斗担なのに……)洋楽大好きHIPHOPも好き(にわかですが)。ボカロは全く通ってないし「うやむや」「フィギュア」は好みのど真ん中ではないです。良い曲だし好きだけど。

でも、そこで私が樹くんの立場なら趣味の洋楽風味をゴリ押ししたくなると思うんですが(笑)、"必殺技"として好みのど真ん中ではない音楽性を捉えられるのは、職業としてのアイドルを全力でやる樹くんの強さを感じます。

田中樹の宣戦布告

さらに、話題はSixTONESの音楽に対する姿勢へと移ります。

このあたりはそんなに捻らず基本理念をとても分かりやすく話しているので、私が解釈を加える必要はないと思いますが、樹くんの「文化の理解とリスペクト」という非常に核心を突いた発言にはぐうの音も出ませんという感じです。

 

私はSixTONESの楽曲が表面をすくい取った"洋楽っぽさ"とは一線を画していると思っているのですが、それは彼らがそれぞれの楽曲に対して単に"おしゃれなサウンド"程度の感覚に留めず、世界観やジャンルを深く理解しようと試みているからだと思っています。

もう少しコアな音楽性を薄めてJ-POPっぽさを足せばマジョリティに寄せることはできると思うのですが、"ちょっとおしゃれなJ-POP"に留めず一曲ごとにその世界をやり切るところが彼らの美点だと思います。

そしてその世界もどんどん深まってきていて、だからこそMake Upでは徹底したチルな世界観の構築に成功していると思います。

 

このように、今回の「文化の理解とリスペクト」はまさにSixTONESの音楽において一貫して表明されてきた姿勢であり、そしてその「文化」はどんどんコアになっていくのだろうと思います。

 

ところで、このくだりって樹くんやSixTONESの姿勢の表明でありつつ、表面的な"洋楽っぽさ"に対するアンチテーゼでもあるのでしょうか。

日本でもジャニーズ事務所内外含め海外志向のアーティストはどんどん増え続けていますが、表面的な"洋楽っぽい"音楽、"洋楽っぽい"映像、"洋楽っぽい"パフォーマンスが蔓延っているのもまた事実だと思います。樹くんもそれを日頃から肌で感じつつ、あえて「音楽と人」という媒体とこのインタビュアーさんを選んで斬り込んでいるのかなあ、と勝手にそんな想像をしてしまいます。

まあ樹くんは喧嘩を売るためだけにこの話をしているわけではないだろうけど(笑)、このインタビュー冒頭でも触れられている彼の反骨精神をここにも当てはめるとしたら……彼は確かな意志と相当なエネルギーを持って邦楽界全体に宣戦布告をしているというふうに充分受け取れると思います。

……もっと平たく言うと、ド正論でぶん殴ってますね。ジャニーズ事務所のアイドルという立場で、「音楽と人」という媒体を通してこのぶん殴り方をする彼のしたたかさには素直に震えます。カッケ〜。

"必殺技"を広げていくために

ここまでは音楽性に絞って現在地や展望を見てきましたが、少し範囲を広げ、パフォーマンス全体についても考えてみましょう。

音楽と人」では音楽性における"必殺技"としてボカロ系の音楽が語られていましたが、SixTONESにとっての"必殺技"という観点で視野を広くしてみると、単に音楽性だけでなくビジュアルやパフォーマンスといった視覚の要素が間違いなく重要だと思います。ジャニーズ事務所のアイドルとして培ってきた彼らの魅せる力は何よりの"必殺技"になりえるし、私はそうであってほしいと思っています。

 

ということで、「anan」の内容に移ります。

ここで樹くんは「アップデート」というテーマに合わせてダンスの話題を挙げています。あまり彼が過去にこういった話をしていた記憶がないので(したことあったらすみません…)意外でしたが、これも上記の背景をあわせると非常に核心を突いた発言だと思うので、少し考察していきます。

 

まず、SixTONESのダンスについてですが、全員基本的なスキルは揃っていますし、その上でダンスの技術そのものとかシンクロ度を売りにしている人たちではないと思います。

樹くんもそれは充分理解した上で、楽曲そのものの良さがあるぶん、楽曲の魅力を何倍にも見せるようなパフォーマンスが不足しているという気づきから今回の発言に至ったのではないかと勝手に想像しています。

 

 

先ほど楽曲の世界観の深さが進化していると書きましたが、であればパフォーマンスもそれに追いついていかないと齟齬が生じるわけです。もう少し詳しく言うと、音楽性がコアになればなるほど、いわゆるジャニーズっぽいダンスとは合わなくなると思います。

 

樹くんは自分のダンススキルが足りないという切り出し方をしていますが、個人的には、前述の通り彼含むSixTONES全員のスキル自体は充分あると思っています。(もちろん向上の余地はあるし向上心は大事ですが)

ただ、音楽性の深まりと照らし合わせると、現状その音楽性や世界観と若干ズレがある振りをつけられている楽曲が散見されるなあというのが私の率直な感想です。むしろ、彼らがパフォーマンスにおいてその"ズレ"をなくし、世界観を演出する努力を怠らないから成立しているとすら思います。……そんなの当たり前のこととしてやっていそうだから、努力と捉えるのもおこがましいかもしれませんが。

SixTONESの、なんでも自分たちのものとして吸収し魅せていく力は素晴らしいんですが、だからこそ彼らのパフォーマンス力だけでなく演出の力でも輝きを強くできればもっといいなあと思ったりします。

 

つまり、改善すべきはSixTONESと楽曲の個性を活かす振り付けではないでしょうか。具体的には振付師を変えるとか、外部から呼んでみるのもひとつの方法だと思います。 

スキルに関してはその振り付けに対して足りないのなら向上していくべきで、課題を与えられて練習するぐらいのほうが向上のスピードは速いような気がします。(これはダンスに限らず歌に関してもですが)

 

それと並行して、ライブでやりやすいパフォーマンスの形というのも追求していかなければいけないとは思うのですが、ダンスのくだりの後で語られている話題はそこにも通じてくるのではないかと思います。音楽性を絞っていくというのは、つまりライブのコンセプトや魅せ方もそれに応じて決まっていくわけなので、SixTONESの良さが発揮されて「しっくりくる」何かが見つかっていけばいいなあと思います。

 

SixTONESの個性と楽曲の強さを上手く活かすプロデュースが難しいであろうことは素人ながら容易に想像がつくのですが、良い楽曲と振り付けと6人のパフォーマンス力がハマった時の爆発力は何よりも本人たちがわかっていると思うので、少しでも良い方向に進むことを願うばかりです。

まとめ

さて、我が物顔でつらつらと書いてきましたが、私が書くようなことはきっと樹くん含めSixTONES本人たちの後追いでしかないのだろうと思います。でも、そう思えることがファンとして何よりも嬉しいことです。

 

SixTONESには、新しいアイドル像を見せてもらっていると感じることが多々あります。

私にとって、彼らに新しさや今っぽさを感じる大きな要因が、率直な発信を厭わない姿勢なのだと思います。アイドルは意見をもたない透明な存在ではなくて、意志をもって活動する人間だと示してくれているようです。

特に樹くんの話を追っていると、ここまで現実的な見方をする、そしてそれを(適切な線引きをしつつ)率直に話すアイドルはなかなかいない気がしてきます。たぶん、他の人ないしグループであれば、1年か数年に1回聞ければ良いくらい本音ベースの話を次々に繰り出されている感じです。

樹くんはかなりのリアリストで戦略家なんだなあと実感しますが、そういう面をアイドルという偶像をつくる職業と両立させているのがとても興味深いです。

 

 

リアリストだからこそ野望をリアルとして語る樹くんを追っていると、夢を見ずにはいられないのです。

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