きっとそれが糧になる

SixTONESと嵐を主な動力源としています

嵐のようなもの、の世界で

2021年も7ヶ月が経ち(はや……)、アラフェス円盤リリース、嵐ジオ等あったのでちょっとこのタイミングでぼんやり思ったことを記録しておこうと思います。

ちなみに嵐ジオは翔潤&にのあい両方聴きました。アラフェスは未視聴です。とっくにフラゲしてるんだけど……。


2019年1月27日から2020年12月31日まで、私はたぶん、智くんの気持ちばかり考えていた。

休止会見を見てからしばらく呆然とするばかりだったし、FS2020の作品集インタビューを読んで3日間ぐらいガチで気が沈んだりもした。率直すぎるくらい率直で、全てにおいて話してくれてありがとう、と思うばかりだったけど、なんだか考え込みすぎてしまった。

ことあるごとに、彼はどう思っているんだろう…、あの時どう思っていたんだろう…、そんなことばかり思いを馳せた。

 

その代わりといってはなんだけど、私はたぶん、4人の気持ちを深く考えることはできていなかったんだと思う。

そんなことに、この半年と少しを振り返りながらやっと気付いたという話です。

 

私は長年嵐だけを追っていたけど、年が明けてから突然SixTONESにハマった。

リア垢でのツイートを遡ってみると、2021年2月9日、北斗くんがかなり気になっている旨のツイートをしていた。おそらく本屋で「CHEER」を立ち読みして、YouTubeを数本見たぐらいのタイミングだと思う。(詳しくは以下を参照) 

blackst-blue.hatenablog.com

この前後でわりと印象に残っている出来事がひとつある。 

2月11日のvs魂で、相葉くんが年明けにパーマをかけた話をしていた。「嵐のときは5人で髪型のバランスを考えないといけなかったけど、今はそれも終わったからパーマかけてみた」というような内容だったと思う。

これを聞いて、そうか、そうだよな、と妙に整理がついたような気持ちになったのを覚えている。

というのはなんか、私たちはもうとっくに"嵐のようなもの"の世界にいる、ということを本人の口から表明された気がしたから。

 

その後ものすごいスピードでSixTONESにハマっていったんだけど、今思うとそれはこの相葉くんの発言に少なからず影響されていたのかもしれない。

"嵐のようなもの"の世界で、別のなにかを探してもいいのかな、という気持ちになれたんだと思う。

それから私はすっかりスト担になり、SixTONESを眺めつつ、4人の個人仕事も眺めつつ、ときどき大野さんに思いを馳せつつ、という感じで過ごしている。

 

そんなこんなで最近になって、あの2年間、4人は4人でめちゃくちゃ寂しかったんだ。と、今さらのように思っている。

ファンの立場でももちろん寂しいけど、冷たい言い方をすると、私はただのファンであって嵐ではない。寂しいと思うなら目を背けることはできるし、現に私はいまSixTONESとか他の好きな人/ものたちを眺めながら、バランスをとって楽しく生きることができている。

 

誰よりも嵐が嵐を愛していると思うから、誰よりも寂しいのは嵐だろう。

去年voyageを観ながら、物凄い勢いで仕事をする嵐を見ながら、私はぼんやりと圧倒されるばかりで、智くん以外の4人の気持ちを深く考えてはいなかった。"嵐のようなもの"になって、やっとそこまで考えが回ったのだと思う。

休止前に1番わかりやすく嵐を続けたがって、寂しく思っていたのはたぶん相葉くん。だけど相葉くんは切り替えもそれなりに早い。というか、終わったことに対してぐるぐると思いを巡らすような姿を表立っては見せないポリシーがきっとあるんだと思う。

翔くんも切り替えようとしていたんだと思うけど、いつかの夜会で「年が明けてから、毎日嵐の夢を見た」と言っていたとき、私は彼の深い寂しさにやっと気付かされた。彼自身も、彼の寂しさをやっと腰を据えて見つめる瞬間だったのかもしれないと思う。

潤くんは、いつでも前を見据えている人だと思う。自分にできることとできないことを見極めて、幸せな思い出と、目の前にある仕事と、いつか訪れるかもしれない未来を、フラットな気持ちで考えているんだろうと思う。

ニノは…なんてわかりにくくて、わかりやすい人なんだろう。本当に、嵐が好きで、嵐の存在に誰よりも強く縋って、味がしなくなっても噛み続けるのかもしれないな。

 

彼ら自身が、嵐のようなものを見つめて整理する人々のひとりひとりを投影しているんだろう。

 

けれどいくら寂しくても、時間は進んでいく。

4人がときどきその「時間」を共有してくれるのは、まあ智担としては色々な感じ方をする人がいるだろうけど、少なくとも私にとってはわりと救いになっている。

気が向いたら智くんの話をしてくれたらもちろん嬉しいし、直接的に言及しなくても、みんなが変わらず仕事をしていてくれたらそれで充分だとも思う。

 

私は"嵐のようなもの"の世界で生きているし、嵐も"嵐のようなもの"の世界を生きている。

智くんはきっと今日ものんびりテレビを眺めている。

 

論理性と感性の共存が紡ぐ、瞬間のきらめきを追って ― 松村北斗くん26歳のお誕生日によせて

こんにちは。わたくし2021年2月に北斗担としての生を始め、ただいま生後4ヶ月のひよっこオタクでございます。

まずは何より、松村北斗くん26歳のお誕生日おめでとう!!

楽しいことも苦しいことも経験して26歳になった今、彼がジャニーズのアイドルとして、SixTONESの一員として想いを届ける立場にいてくれて本当に嬉しいです。

そんな記念日によせて、「北斗くんの好きなところ」をテーマに文章を書いてみようと思います。

 

北斗くんは色々な顔を持っている人だから、彼に対する"好き"の形もきっと色々なのではないかと思います。

それぞれの人がその時々に存在する松村北斗のイメージに心を動かされているから、好きになったきっかけにしても割とばらけそうな気がしています。そして、一旦心惹かれたあとも、"好き"のかたちは刻々と変わっていくのだと思います。 

私の気持ちも、これから彼を応援していく中でどんどん変わっていくとは思うのですが、ひとつの通過点として今の"北斗くんへの好き"を書いてみたいなと思います。

ひよっこオタクゆえ、そして己のボキャ貧ゆえ、北斗くんの何が好きなのかを言語化するのはまだまだ非常にハードルが高いところではありますが、今の"好き"を残しておくのも何か意味があるかもしれないと信じています。(そして、黒歴史にならないようにと願っています……。)


北斗くんの好きなところはたくさんあるけれど、今回は私にとっての「きっかけ」の話から始めてみます。

私が北斗くんを好きになった最初のきっかけは、ライアー×ライアーの宣伝時期に、本屋で雑誌の表紙に写る彼と目が合ったことです。白い背景に白い衣装、派手な写真ではありませんでしたが不思議と心を引き寄せられたことを覚えています。

そのあと漁った数々のパフォーマンス映像でも、彼はカメラに抜かれた瞬間に強く印象を残していました。 北斗くんが一瞬の見せ場を作る力に長けているのは、皆様頷くところだと思います。

 

じゃあ、彼はカリスマ的な存在なのか?不動の王子様?根っからのスター?

 

誤解を恐れずに言うと、北斗くんって元々ある特定の分野で飛び抜けているとか、あるいは突飛な性分の人ではないと思うのです。これは決してけなしているわけではないと強調しておきたいんですが……。

北斗くんは、顔が整っていて、スタイルもいい。運動神経もいい。頭もいい。なんとなく、だいたいのことは平均以上にできるのだろうなと思います。実際、彼が目立って苦手なことってあまり思いつかなくて。ただ、それって、いわゆる器用貧乏になりかねない性質を孕んでいるとも思います。

でも、北斗くんってそこにとどまっていないですよね。心の底からの大歓声を引き出す力を、自らの印象をその場に応じた濃度で残す術を、間違いなく持っています。

 

その核にあるのが、「演じる」ことだと思います。

アイドルというのは、常にさまざまな切り口で与えられた文脈の表現を求められる仕事です。その表現のかたちは人それぞれだけど、北斗くんにはやはり「演じる」という言葉がしっくりきます。歌い方、踊り方、お芝居、写真への写り方、身のこなしすべてに共通するのが「演じる」という気概。それが、単に容姿の整った人が整ったパフォーマンスをするというところを超える、北斗くんの術だと思っています。

 

「きっかけ」に話を戻すと、写真という媒体は「撮られる側」と「見る側」に時間軸のズレこそありますが、ある瞬間で人を引きつけるという意味ではライブパフォーマンスと同様の性質があるのだと思います。そこで、彼は「演じて」いた。用意されたセットや伝えられたコンセプトを読み解き、彼なりの解釈を加えて「演じる」姿が写真からあふれ出していた。だからあの時の私は、なぜかわからないけど良い写真だ、と思わされた。今振り返ると、そう思います。


「演じる」とは、なんでしょうか。

「良い演技」とは、なんでしょうか。

これは正解のない問いですが、少なくとも、「演じる」という行為は思考と瞬発力の両方をフル回転してはじめて成り立つものであると思います。お芝居であれば、事前に与えられている台本や資料を読み解くことと、撮影当日の雰囲気、共演者の演じ方、演出などを受けてその場で生まれる表現。それらが互いに支え合って、はじめて「良いお芝居」は生まれるのだろうと思います。

そして、なにをもって「良い演技」と評されるかはわからないけど、少なくとも私は北斗くんの「演じる」に包含される表現が大好きです。それは、彼の思考の深め方、瞬間的に表出する感性に惹かれるということだと思います。

 

北斗くんの思考と感性を知る媒体として、「アトリエの前で」があります。

文章というのは人となりが真っ裸にされるから、ファンになった当初、彼がエッセイを書いていると知り、一体どんな文章を紡ぐ人なのだろうとどきどきしながら読み進めたことを覚えています。

そして私が抱いた感想は、論理性と感性の溶け合った文章だ、ということでした。

彼のエッセイは、多くの場合最初に主題のかけらが提示され、次に経験が語られ、最後にまた主題を仄めかすという流れになっています。そして、主題そのものは最後まで読めば見えてくるような、でも完全には姿を現さないような、読み手の想像力をかき立てる透明度で描かれています。その姿勢はとても論理的で、彼が緻密な考えをもって文章をつくっていることがよく表れていると思います。

一方で、そこに語られる経験は、日常の何気ないワンシーンやほんの少しの引っ掛かりといった内容が多いのです。それは、彼があらゆる出来事に対してつぶさに感性を働かせている証左だと思います。見過ごしてしまいそうな気持ちを大事にとっておいて、豊かな言葉で描く。物事への細やかな視線が、北斗くんのなかではいつでも生きていることを窺い知れます。

 

北斗くんの「演じる」には、きっとそんな論理性と感性の積み重ねが鮮烈に表れていて。彼のことを知っている人にも、知らない人にも、何かを感じさせる強さが溢れてる。そして彼の表現は常にアップデートされ、だれかの心を掴み続けるのだろうと思います。


ただ一方で、私は北斗くんの深い思考と繊細な感性が大好きですが、それが芸能界に向いているかというと必ずしもそうではないと思っていて。ここで「向いている/いない」というのは主に「ストレスを感じるかどうか」という意味で使っているのですが、つまり彼は繊細さ故に壁にぶつかり考え込んでしまうことも多々あるだろうから、決して芸能界で生きやすいタイプではないと思うのです。

でもその一方で、彼はアイドルに向いている人だとも思います。不器用かもしれないけど、あらゆる人に対して誠実に接している態度を端々に感じるから。そして、彼自身がアイドルの力を信じ、想いを届けるために心を砕く人だから。だから、北斗くんの中にある論理性と感性の同居は、彼をアイドルたらしめているのだと思うし、心の根っこが「アイドル」なんだと思います。

 

最後に、『ライアー×ライアー』関連の雑誌のなかでとても印象に残っている言葉を。北斗くんが、アイドルという仕事について語った内容です。

宛先のわからない手紙を先に書いておいて、それを必要とする人がいつでも手に取れる、だなんて。すごく素敵な仕組みだなって

― ピクトアップ 2021年4月号より

アイドルを「仕組み」と語る論理性と、「手紙を書く」と紡ぐ感性が溶け合っていて。そして、アイドルの力に対する信念が強く響く、大好きな言葉です。


……余談ですが、私は嵐の大野くんのファンでもあります。大野くんと北斗くんってあまり似ていないと思われそうですし、実際ふたりの性格は正反対に近いぐらい違うと思います。

ただ、大野くんもまた、芸能界には向いていないけれどアイドルには心から向いている人だと思うんです。

大野くんは、北斗くんとはまた違ったベクトルで……北斗くんにも増して向いてないところだらけですけど(笑)、その一方で心の根っこが途方もなく「アイドル」なんです。どこまでもピュアに、愛を届けようとする人だから。

 

私はたぶん、そんな不完全さと、その奥底にある純な想いをいつまでも追っているのだろうと思います。

 

 

北斗くん、26歳のお誕生日おめでとう!

 

 

智担、活動休止後の世界で突然松村北斗くんに沼落ちした話

SixTONES結成6周年おめでとう!

 

私はもともと2008年頃から嵐の大野くんのファンをしていて、他Gは全く通ってきませんでした。

でも、嵐が活動休止に入った今年の2月、突如としてSixTONES松村北斗くんを好きになりました。実に13年ぶりに自担が増えて、自分でもびっくりです。

 

6周年を機に沼落ち漫画が流行っているようで、そんな私の経緯も記録に残しておきたいと思ったのですが、私には残念ながら漫画を生成する画力がないので文章にしたためてみました。

出来るだけ自分の気持ちの動きを細かく書こうとしたら、長大なポエムと化してしまった。

そして、恐らくこのムーブメントに乗っている方々の中で最も歴が短いのではないか、というレベルの新規です。2021年2月からなので、ようやくファン歴3ヶ月くらい。なので、勘違いや解釈違い等あったら大変申し訳ございません。

…と言い訳を並べておきましたので、それではいきましょう〜。

 


 

私はもともと2008年頃から嵐のファンで、ずっと大野くんが好きだった。もちろん今でも。

 

嵐との出会いのきっかけは、元を辿ると志村どうぶつ園だった。

私が小学校低学年の頃に志村どうぶつ園の放送が始まり、始まった直後からほとんど毎週観ていた。

なので相葉くんのことも結構昔から認識してはいたが、"カンガルーと戦っている面白い人"という印象しかなく、彼の本業がアイドルであることも全く知らなかった。

漢字を満足に読めるようになった頃、番組冒頭に出てくる「相葉雅紀(嵐)」というテロップを見て、母親に「嵐ってなに?」と訊いた記憶がある。母親には「そういうグループ名だよ」と返答され、私はよく理解しないまま、それ以上深掘りすることもなく「ふーん」と納得した素振りで会話を終わらせた。

ただ、振り返ると、その当時から相葉くんの顔はかっこいいと思っていたし、動物と戦う姿は面白いし、うっすら好きではあったと思う。

 

嵐を認識したのは、Love so sweetの頃だった。動物と戦っている相葉くんは歌を歌うこともできて、嵐という名前の5人組の中にいることを初めて知った。そして、テレビで嵐を見かけるたび、相葉くんをうっすらと眺めていた。 

嵐はラブソー、Happiness等を経て、しむどう放送開始時(2004年)と比べてもどんどん階段を駆け上がり、テレビで見かける機会も圧倒的に増えていた。『ひみつの嵐ちゃん!』も始まり、なんとなく嵐って面白いかも、好きかも、と気にかけ始めたりした。友達どうしで「嵐の中で誰が好き?」と聞き合うのも日常になり、私はなんとなく「相葉くんかな〜!」と答えていた。

 

そんなゆる〜い相葉担とも言えないぐらいの私が一気に智くんの沼にハマったきっかけは、『truth』の歌声だった。

正直それまで嵐を眺めていても大野智という人物は1番わけがわからない地味な人としか思っていなかったのだが、歌声を聴いた瞬間本当に衝撃を受けた。あの変で地味な人からこの歌声が?!と。

そして、世の中に歌の上手い人はたくさんいるけれど、私はなによりも彼の透明な声に惹かれた。

それから(当時は無法地帯だった)YouTubeを漁り、ダンスにも衝撃を受けた。あの"変で地味な人"は、ステージに立つと豹変する人だった。

めっっっっちゃくちゃかっこいい。

大野くんのことが頭を離れなくなった。

こうして私のジャニオタ人生、嵐担人生は幕を開けた。

 

ジャニーズのオタクの中にもDD ・事務所担寄りの人、単推し気味の人、現場に命をかけるタイプ、在宅派など色々なスタンスがある。私は基本的には担当Gにしか興味がないタイプで、他Gのことは全く嫌いではなかったが、特にこれといって関心を持つこともなかった。もちろん非オタの一般人よりは知っているけど、顔と名前と代表曲、自担と仲がいいかどうか分かるぐらい。

智くんを好きになってから、嵐を取り巻く環境は10周年バブルやものすごいペースでのリリース、かたや週刊誌報道等々を経て目まぐるしく進んでいった。その途中でフェードアウトしたり担降りしたりする人もちらほらと見かけたけれど、私の気持ちは全く揺らぐことなく素直に智担を続けていた。

 

 

それから11年が経ち、2019年1月27日。

 ニュース速報が流れ、FCメールが来て、記者会見があった。

 

本当に立ち直れなかったのと同時に、心のどこかでは"答え合わせ"をされたと思う自分もいた。 

彼の雰囲気、そして何よりもスケジュールの入れ方に違和感を覚えなかった智担はいないと思う。色々な可能性が頭によぎって、いやいや違う、と振り払おうとしていた。

 

でも、彼は2年後に身を引くと決めていた。

それを私自身に納得させる過程で、智くんの考え方や人間性は私の気づかないほど深いところまで染み込んでいたことに気付かされた。なにしろ小学校高学年から高校、大学に至るまで推し続けた存在だから、その影響は半端ではなかった。

そしてなによりも、私は大野智という人を尊敬している。

彼の溢れる才能(彼自身は才能といわれるのを嫌うけれど)、考え方、価値観を追い続けてきたし、彼の自由な生き方が大好きだ。私のなかに智くんの言葉がたくさん溶けこんで、境界線をなくしている。

そんな自分に気付かされて、智くんという存在の大きさを改めて思った。そして、2年後の世界を憂いては辛くなった。嵐が、智くんがいなくなった世界で、私は何に寄りかかって生きていけばいいのだろう。

後にも先にも智くんのような存在は現れないし、つくることも出来ないとしか思えなかった。それに、他の誰かに大野智を投影して好きになるというのも、また失礼なことだと思った。他の人には他の人の良さがあって、その人自身を好きになるべきであって、いなくなる自担の影を勝手に重ねるというのは失礼だ。

 

一方で、これから全く別の"好き"を見つけられれば、どんなに幸せだろうとも思った。全く違う対象に、全く違う"好き"を見つけられれば。そんな存在がどこかからフラッと現れてくれたらな、とぼんやり考えたけど、そんなに都合の良い話はなかった。 

心なしか、以前よりも他GやJr.に意識を向けるようになった。時々気休めのようにJr.チャンネルを見たりもした。みんなキラキラして素敵だったけど、結局のところ推しは見つからなかった。そりゃそうだ、推しって血眼になって探したら見つかるものではない。ただ、漠然と「推しを見つけたい」という気持ちだけが心のどこかに居座っていた。

 

結局のところ、その気持ちは成就することなく2年間が過ぎてしまった。

 

2020年12月31日を迎えた。

「いつかまた、人のために」と語る彼の穏やかな笑顔を見送った。

これで終わりだ、さようなら、ありがとう。

 

私は大野くんのことが大好きだから、彼のことを見たいとは勿論思うけれども、それと同時に彼には彼の望む道で幸せに生きてほしいと願っている。だから、ファンに2年間の時間をくれた彼に心から感謝していて、そのあいだに私は私自身をそれなりに納得させることができていたつもりだった。

でも年が明けてからは無性に寂しくて、嵐の曲を全く聴けなくなった。

正月三ヶ日ぐらいを喪失感とともに過ごし、それから日常生活を送ることでふわりと意識から遠ざけようと試みた。

  

そうするうちに、1ヶ月が経った。

私は、智くんの周辺から時々ほんの少しだけ語られる今の彼を頼りにしていた。

智くんを慕ってくれている、林翔太くんという後輩がいる。林くんは活動休止後にも智くんの話をちょくちょくしてくれていて、2月初頭に発売された「CHEER」という雑誌のインタビューでも智くんの話題が出ていると小耳に挟んだ。

一目見たくて、本屋で「CHEER」を手に取った。 

CHEER Vol.6 (TJMOOK)

CHEER Vol.6 (TJMOOK)

  • 発売日: 2021/02/01
  • メディア: 大型本
 

 

その表紙には白っぽい布の後ろからこちらを覗き込む人が写っていて、「松村北斗」「SixTONES」と書いてあった。

 

私は正直なところ、松村北斗という人物に対してこれといったイメージを持っていなかった。ああなんか名前は聞いたことあるけど……結構昔からいるよね?SixTONES……にいるんだ、ふーん。そのぐらい。

そんな感じでぼやーっと視界に入っただけなのに、なぜか、なんとなく、これは良い写真だと思った。

特に顔のアップでもなく、むしろ目元は長い前髪で半分隠れてしまっている。でもその隙間からのぞく視線と目が合って、一瞬意識を奪われたような気がした。単にかっこいいというより、いや顔立ちは整っているのだけど、それ以上に彼が醸す雰囲気に呑まれるような、不思議な感覚を覚えた。

 

そして、私はこの人と何かの縁があるのかもしれない、という輪郭のない直感が浮かんだ。

 

…けれど、同時に自制心のようなものも立ちこめて、それ以上に深く考えるのをやめ、林くんのページだけをパラパラと眺めてその場を立ち去った。

 

それから数日後、YouTubeの関連動画に「僕が僕じゃないみたいだ」が出てきた。

松村北斗の姿を無意識に覚えていたのか、単純にジャニーズの楽曲には興味があるからか、どちらでもあったと思うけれど、とりあえず私はその動画をクリックした。

 

少し聴いて、シンプルに良い曲だと思った。好きな曲調だった。

そのまま聴いていると、Cメロで誰かがずっと歌っていた。こんなに長いソロパートもあるんだ。京本くんの声はイミテーションレインで印象的だったからなんとなくわかるけど、これは京本くんじゃなさそう。でもこの人、綺麗だ。なかでも、

それが本当の僕だ きっと

と高く揺れて歌う声が透明で綺麗で、あ、この人の歌声好きだ、と思った。

誰が歌っているんだろう。

画面に目を向けて、巻き戻してもう一度聴いた。

 

松村北斗だった。

 

数日前、本屋での記憶がはっきりと甦った。

……私、もしかして北斗くんに呼ばれてる?

 

続いて、「NEW ERA」「NAVIGATOR」のDance Practiceを見た。

Dance Practiceは、多分今までにも見たことがあったと思う。でも、改めて北斗くんに注目して見てみると、彼の踊り方がめちゃくちゃ好みであることに気付いた。

外見から受ける印象よりずっとダイナミックで、しなやかで、手先が綺麗。

削ぎ落とされた美しさ、という言葉がしっくりくる大野くんとは方向性が違うけれど、どちらもなんとなく彼ら自身の思う「美しさ」を目指しているように思えた。

 

それから、YTFF2018を見た。

え、よくわかんないけどとりあえず凄い、ヤバい、ステージ上の北斗くんバッチバチにかましてる、腰ヤバ、目つき凄い、気迫が凄い、え、めっっっっちゃめちゃかっこいい!!

頭から離れなくなった。

  

一応12年もジャニーズ事務所所属のアイドルを応援していたのに、私はSixTONESのことを何も知らなかった。昔のこと、今の仕事、片っ端から調べた。北斗くんが「CHEER」の表紙を飾っていたのは、『ライアー×ライアー』という映画に主演するからだと知った。あの時棚に戻して帰った「CHEER」をもう一度探しに行って、そして他にもたくさんの雑誌をレジに並べた。気付いたら『ライアー×ライアー』の舞台挨拶中継付きチケットを購入し、「僕が僕じゃないみたいだ」を全形態手元に置いていた。

 

あの日から2年間、探しても探しても見つからなかった気持ちが、ここにあった。

 


 

しばらく経って、SixTONESは全員Johnny's webで個人連載を持っていることを知った。オトノハとEnjoyのために継続していたJwebを開き、初めて「SixTONES」を押して、「北斗學園」を押した。

北斗くんが結構な高頻度で更新していることに驚き、そして彼の文章の独特なリズムと言葉遣いが小気味よく響いた。

 

さっと過去の更新を読んでいると、『ライアー×ライアー』関連の雑誌ラッシュについて書かれている回があった。

彼は、"期待せずに自分を撮りにくる方もいるから応援してくれている人たちを背負ってバトルしてる、全勝したつもりだから!(大意)"というようなことを書いていた。

びっくりした。そんな気合を込めて写っていたなんて。なんだか、「CHEER」の彼と目が合って心が揺れた私を見透かされたような気持ちになった。私はきっと紙面から溢れるその気概に心を掴まれていたのかもな、と勝手に納得してしまった。北斗くん、その勝利の成果はここに1人いるよ。

 


 

こうして振り返ると、智くんのことも北斗くんのことも、好きになった明確なきっかけは歌声とパフォーマンスだ。2人とも、落ち着いてすこし高くて、艶のある声でとても素敵。そして、ひとたびステージに立つと本気の目でバチバチかましてくれる。

ただ、そこから2人に芽生えた「自担」としての気持ちは、まったく違うものだと思っている。

 

智くんはもう、人生の先生のような存在だと思う。 十数年をかけて私の中に染み込んだ智くんのことばや考え方は、しっかりと根を張って、私を動かしている。

 

北斗くんは…たぶん、私は言葉通りの意味で北斗くんの「ファン」だ。

私自身は北斗くんとは全く違うタイプの人間だ。私は大変のんびりしたマイペースな性格で、そんなに働きたくもないし芯が熱くもないし、スケジュールがすかすかでも特に気にならない。そんな感じで生来の性質が違いすぎるから、彼のようになりたいとはあまり思わない。

 

でもそれがいい。すこし距離をとって、アイドルとしての北斗くんを応援することが今はとても楽しい。メディアを通して多方面にわたる彼の頑張りを見られることが嬉しいし、分かりやすいようで分かりにくい、分かりにくいようで分かりやすい彼の内面を少しずつ想像するのも楽しい。SixTONESがもっともっと大きくなるように、北斗くんの活躍の幅がもっともっと広がるように、微力でも後押しできればいいな、と思っている。

 

 

北斗くんは智くんの代わりではないし、後釜でもないし、穴埋めでもない。智くんが姿を消した寂しさは、別の誰かが埋めるものではない。

でも、すこし違う方向に視線を向けてみたら、そこにも明るく手招きする6人がいた。

楽しそうな姿を少しだけ遠くから眺めて、そして一緒に歩きはじめた。

 

 

2年後の世界を憂いていた私へ、2021年は捨てたもんじゃなかったよ。

 

 

SixTONES結成6周年おめでとう! 

これからも陰ながら応援させてね。